坂戸線

西武バス 坂戸線


廃止から15年以上経った今も、来るはずのない客を待ち続ける田木バス停跡地のベンチ。2010.10撮影

晩年の運行系統(1994年1月16日廃止)

狭山23:狭山市駅西口〜高萩駅〜坂戸駅

路線概要

西武新宿線の狭山市駅から東武東上線の坂戸駅を結ぶ、約16kmの路線でした。
途中の根岸新道より坂戸駅近くまで国道407号線を走る路線でした。途中、国鉄川越線の武蔵高萩駅に立ち寄りました。
日高市〜鶴ヶ島市内では日光街道の立派な杉並木の下をバスが往く光景が見れましたが、407号線の道路混雑により定時運行が難しくなり、利用客の減少と運行回数の減回という負のスパイラルに陥った結果、1994年に廃止になりました。

年表

1926(昭和2)年11月12日吾野自動車共同組合が入間郡高麗村市原から森戸・厚川などを経由し東上線坂戸駅に至る14.5kmのバス路線を開設。[乗合要覧]
このルートは後の坂戸線とは異なり、現在の県道日高川島線を通る経路だったようです。戦後このルートを東武バスが運行(高麗川駅〜坂戸駅)していますが、関連などは未調査です。
1934(昭和9)8月4日吾野自動車共同組合が路線を武蔵野鐵道に譲渡。同社の乗合バス(通称武電バス)に組み入れられる。[乗合要覧]
1936(昭和11)年5月岡部君作の飯能〜坂戸間乗合バス路線を武蔵野鐵道が譲り受ける。[西武社史]
:この「岡部君作」は恐らく吾野自動車共同組合の代表者だった方と同一人物でしょう。西武バスの社史を読む限りでは氏は共同組合とは別に飯能〜坂戸間の路線を持っていたことになります。ただ社史以外で、氏の個人経営の路線に触れている資料を今の所見つけておりません・・・。
1937(昭和12)年武電バス、坂戸〜松山間を開業。[西武社史]
1938(昭和13)年5月武電バス坂戸線、ガソリン節約のため減回。[西武社史]
戦時中坂戸線の運行を休止。[推測]
1945(昭和20)9月武蔵野鐵道、西武鐵道、食糧増産が合併、西武農業鉄道となる。武蔵野鐵道のバス事業も西武農業鉄道へ引き継がれる。
:西武農業鉄道時代の休止路線の中に、飯能〜坂戸間の記載があります。[西武社史]
1946(昭和21)3月東浦自動車が武蔵野自動車に社名を変更、西武農業鉄道のバス事業を引き継ぐ。翌年には社名を西武自動車に変更。
1957(昭和32)12月1日西武自動車が入間川駅〜高萩駅〜坂戸駅間の路線を運行開始。[鶴ヶ島町史・坂戸市史・広報さやま57.12.10]
坂戸線運行開始時に配布されたビラの複製[鶴ヶ島町史]

:このビラには不可解な部分がいくつかあるのですが、その最たるものとしてビラの発行者に「狭山商工会」が名を連ねていることです。
これはあくまで推測ですが、坂戸線の再開には狭山商工会からの強い要請があったのではないでしょうか。戦前の起点が飯能なのに、戦後は入間川に移った理由もこれを当てはめれば分かる気がします。詳細は今後調査しようと思っています。
196x増回
1974年9月16日坂戸駅南口へ乗り入れを開始?[西武社史]
1970年代後半系統番号狭山23を付与。

1979年現在の狭山市駅〜坂戸駅間 運行データ[西武時刻表1]

路線名坂戸線系統番号狭山23
運行回数平日・休日ともに8回
初発狭山市駅発 6:16坂戸駅発 7:01
終発狭山市駅発18:55坂戸駅発19:43(いずれも平日)
運行担当狭山営業所

:翌1980年の西武鉄道時刻表2号によれば狭山市駅〜高萩駅間の所要時間は23分、高萩駅〜坂戸駅間は22分。

1981年に西武バスが発行した路線図から抜き出した坂戸線の路線図

狭山市駅西口〜新睦間が狭山市、田木〜森戸新田間が入間郡日高町(当時)、高倉第二〜下新田間が鶴ヶ島町(当時)、坂戸駅南口は坂戸市です。
当時高萩駅付近で国際興業バスと並行していましたが、その区間には国際興業だけが停車するバス停が二つ(高萩駅入口・中宿)ありました。また、「高萩十字路」バス停も、国際興業は「高萩橋」と名称が異なっていたようです。

1982年〜83年前後運行回数が8回から6回に減回。[西武時刻表4,5]
1982年4月1日発行の西武鉄道時刻表4号では8回。1983年12月9日発行の5号では、「12月12日から運行するダイヤ」として掲載されていますが、6回に減っています。
1989年度運行回数を3回に減回。[統計さやま]
1994年1月16日坂戸線の運行を廃止。[統計さやま]
西武バスの社史では「1994年3月末で休止」とあります。管理者の推測ですが、1月16日で実際の運行は休止し、3月末で正式に廃止になったものと考えています。
社史掲載の写真を見ると、最終日のバスにはささやかながら装飾が取り付けられていたようです。
なお、系統番号の狭山23はその後、狭山市駅西口より柏原ニュータウンを経由し笠幡まで向かう路線に付与されました。ただ、現在はその路線も廃止になっています。

沿線アルバム

坂戸線は廃止から15年以上が経過していますが、今もバス停の痕跡を見つけることができます。

冒頭画像の田木バス停。住所は日高市内になります。狭山市方面乗り場のスペースが残っています。
日高カントリークラブバス停は、坂戸方面乗り場のスペース(写真)と狭山市方面乗り場のベンチが残存。
「高萩並木歩道橋」下の旭ヶ丘療養所バス停跡地。歩道橋の真下に、狭山市方面乗り場が。
鶴ヶ島市内の高倉バス停跡地の坂戸方面乗り場。すでに歩車分離用(?)のブロックが置かれていますが、側溝の位置がバス停の存在を物語っています。

この他、小学校入口・森戸新田バス停にもベンチが残っております。写真は全て2010年10月撮影です。

このページの最終更新日 2011年5月30日

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