現在運行中の系統(2010年12月1日現在)
新狭01 | 新狭山駅南口〜青柳〜新狭山ハイツ |
新狭02 | 新狭山駅南口〜新狭山ハイツ〜入曽駅 |
新狭01-1 | 新狭山駅南口〜川越営業所 |
すでに廃止された系統(1987年6月30日廃止)
入曽41 | 入曽駅〜中新田〜本川越駅 |
入曽42 | 入曽駅〜下新田〜中新田 |
新狭山駅を起点に、1970年代に開発された団地へ向かう新狭01系統と、団地からさらに狭山市堀兼地区を通り、入曽駅へ向かう新狭02系統が主な系統です。
新狭02系統はもともと、大正期に開設された入曽〜川越間の路線でしたが、1980年代の末に途中の草刈街道バス停から川越方を廃止し、残された入曽方を現在の新狭01系統とつなげ合わせ、現在の運行系統とした経緯があります。
ただ、近年新狭02系統の本数は減少傾向にあり、2011年3月改正からは12時台に一往復するのみになってしまいました。
枝番の新狭01-1系統は、新狭山駅から川越営業所までの出入庫路線で、途中停留所は無く、一日1回の運行です。
車両は2010年春頃より、主に小型バスの日野リエッセが運用されています。それ以前は全て中型バスで運用されており、現在も時折運用されます。
1925(大正14)年11月22日 | 堀兼村(現在の狭山市)の諸口慶次郎が入曽駅〜川越西町駅間の路線開設願いを提出。[狭山市史] |
1926(大正15)6月11日 | 諸口慶次郎の入曽〜川越間の認可が下りる。 |
:認可に当たっては、福原村(現在の川越市)内で本橋頴一の路線と競合する区間に「駐車場又ハ切符売場」を設けてはならない、沿線の4か所に待避所を設置することを条件に許可が下ろされました。 | |
この区間の開業日は、[乗合要覧]では同年12月2日、[西武社史]では11月となっていました。 | |
開業時より「丸慶バス」「堀兼自動車部」などの名称が使われていますが、諸口慶次郎の個人事業でした。 |
1927(昭和2)年4月改正の時刻表と当時の路線図[狭山市史]
[狭山市史]掲載の時刻表を参考に管理者が作成したものです。
1927(昭和2)年10月7日 | 諸口慶次郎が川越西町駅〜川越久保町電車発着所間、入曽駅〜豊岡町駅間の路線延長願を提出。[狭山市史] |
同年12月15日 | 両区間の延長許可が下りる。運用増に備え車両(フォード製、10人乗り)を増車。[狭山市史] |
同年12月27日 | 延長区間を開業。[乗合要覧] |
川越方の延長区間の終点・川越久保町電車発着所は、(旧)西武鐵道大宮線の起点駅です。現在の狭山市・入間市から、バスと電車を乗り継ぐだけで、大宮方面に出れるようになりました。 | |
また、運行系統も川越久保町〜入曽〜豊岡町と改められました。 | |
1929(昭和4)年9月4日 | 諸口慶次郎が入曽駅前より東京府西多摩郡箱根ヶ崎村までの路線延長願を提出。[狭山市史] |
1930(昭和5)年1月22日 | 同区間の延長許可が下りる。[狭山市史] |
開業日は[乗合要覧]によれば「昭和6年1月26日」ですが恐らく昭和5年の誤植かと思います。 | |
運行系統は川越〜入曽〜豊岡間と分離されていた模様です。 |
1933(昭和8)年10月1日現在の丸慶バスの路線図[乗合要覧]
[乗合要覧]掲載の地図に管理者が一部手を加えたものです。
1935(昭和10)年12月9日 | 諸口慶次郎経営の路線を丸慶自動車合資会社に譲渡。[狭山市史] |
丸慶自動車合資会社の代表は諸口慶次郎で、運営形態を個人経営から氏の会社に移管した形になりました。最も、氏は会社の設立を見届けずに58歳でこの世を去ったということです。 | |
1936(昭和11)7月1日 | 丸慶自動車の路線と自動車営業設備を多摩湖鉄道に譲渡。多摩湖鉄道のバス路線網に組み入れられる。[狭山市史] |
1940(昭和15)4月 | 武蔵野鐵道が多摩湖鉄道を合併。バス路線も武蔵野鐵道に引き継がれる。[西武社史] |
1945(昭和20)9月 | 武蔵野鐵道、西武鐵道、食糧増産が合併、西武農業鉄道となる。武蔵野鐵道のバス事業も西武農業鉄道へ引き継がれる。 |
1946(昭和21)3月 | 東浦自動車が武蔵野自動車に社名を変更、西武農業鉄道のバス事業を引き継ぐ。翌年には社名を西武自動車に変更。 |
1963(昭和38)12月16日 | 入曽駅〜中新田間の路線を開設。[西武社史] |
入曽〜川越間の区間便として設定された系統です。6.3km、運行開始時は一日2回と、補助的役割と受け取れます。 | |
1970年代 | 系統番号を付与。[推測] |
入曽駅〜中新田〜本川越駅入曽41系統 | |
入曽駅〜下新田〜中新田:入曽42系統 |
1979年現在の入曽線の運行データ[西武時刻表1]
路線名 | 入曽線 | |
系統番号 | 入曽42系統 | |
運行回数 | 平日・休日ともに12回 | |
初発 | 入曽駅発 6:12 | 中新田発 7:32 |
終発 | 入曽駅発19:48 | 中新田発20:08 いずれも平日 |
系統番号 | 入曽41系統 | |
運行回数 | 平日・休日ともに3回 | |
入曽駅発 | 9:28 12:50 20:29 | |
中新田発 | 6:47 11:05 14:24 いずれも平日 | |
運行担当 | 川越営業所 |
:十数年の間に、補助的存在だった中新田折返しが主になり、本川越まで向かう便は出入庫のみになってしまったようです。
なお入曽41系統の本川越駅発の時刻は分かりませんでした。
1988(昭和63)年6月30日 | 入曽線・入曽41系統/入曽42系統の運行を廃止。[統計さやま] |
下記の通り、実際は入曽42系統がハイツ線と統合されました。また、入曽41系統の本川越駅〜今福間も他の系統と並行している区間であることから、路線そのものが廃止になったのは草刈街道〜今福間と言っていいと思います。 |
1969(昭和44)年 | 狭山市堀兼地区に新狭山ハイツの造成を決定。[ハイツ10年誌] |
1973(昭和48)年4月1日 | 西武バスが新狭山駅南口〜青柳〜新狭山ハイツ間のハイツ線を開設。運行担当は川越営業所。[西武社史] |
[西武社史]によれば、ハイツ線は開発者と会社側が、バス運行について事前に協議を行い、合意に達した時点で開発者が入居の募集を開始した初めてのケースで、その後のいわゆる団地路線開設時のモデルケースとなったそうです。 | |
また[ハイツ20年誌]によれば運賃は片道30円だったとのことです。 | |
1970年代後半 | 系統番号狭01を付与。[推測] |
1983(昭和58)年9月1日 | 新狭山ハイツ自治会結成10周年を記念し、始発バスの運転手と川越営業所所長に花束を贈呈。[ハイツ10年誌] |
[西武社史]の62ページ左上に掲載されている新狭山ハイツでの花束贈呈の写真は、開業日ではなくこの日の模様だったようです。 | |
1987(昭和62)7月1日 | 狭02:新狭山駅南口〜新狭山ハイツ〜入曽駅を開設。[ハイツ20年誌] |
営業所の移転と同時に、出入庫線と化していた入曽41系統を廃止し、残る入曽42系統を、終点ひとつ前の草刈街道バス停から新狭山ハイツを経由し新狭山駅発着とし、狭02系統としました。 | |
昭和63年度の運行回数は、狭01系統が23回、狭02系統が12回です。狭02系統は晩年の入曽42系統と変わらない運行回数で、新狭山駅〜ハイツ間は実質増回となりました。 | |
1980年代後半~90年代 | 新狭山駅南口〜川越営業所間を開設。 |
1990年代 | 系統番号を狭xxから新狭xxに変更。[推測] |
2009年秋~2010年冬 | 新狭01・02、新狭山駅南口付近でルート付け替え。[西武ルートマップ] |
2009年6月16日発行のルートマップでは旧ルートで記載、2010年3月6日発行のルートマップには新ルートで記載されています。 | |
なおルートの変更点は以下の図をご覧下さい。 | |
2010年3月6日 | ダイヤ改正。新狭02の運行回数を6回から4回に減回。[西武公式] |
2011年3月5日 | ダイヤ改正を実施。新狭02を一日1回に減回し、平日と休日のダイヤが共通になる。 |
2011年3月 | 東日本大震災による石油不足のため、新狭01・新狭01-1・新狭02の運行を休止。[西武公式] |
同年3月24日より平常運行に復帰しました。 |
冬枯れの雑木林を走る新狭01系統の日産ディーゼルRM。 2011年2月 | |
茶畑と住宅が入り交じる水野地区を、新狭02系統の日野リエッセが走り抜けてゆきます。。 2011年2月 | |
夏の夕暮れ、堀兼農協前バス停を発車した新狭02系統の入曽駅行き。 2009年8月 |